巴世里村(ぱせりむら) 第1話
「人間のように喋る人形」(1)
その村は、5つの深い森と4つの深い谷と3つのどん深い沼を越え、濃い霧の中を50歩ほど歩いた所にありました。
「ここか・・・ここが巴世里村・・・」
そうつぶやくと旅人はへこたれそうになっていた両ひざに「くっ」と気合いを入れ、泥だらけの手で泥だらけの額の汗を拭いました。
薄紫色の密度の濃い霧に囲まれた、赤や白や黄色の入り交じった緑の小さな庭園に囲まれ、小さな家ーと言うより邸ーと言うより低予算で造られた城ーが建っていました。とがった青い屋根のてっぺんが、ちょうど旅人の頭のてっぺんと同じぐらいの高さでしたので、「ここは人間の住む家ではない」と確信し、旅人は胸が高鳴るのを感じました。
旅人の足元からは、幅30㎝位の緑の細い道が、城の入り口まで真っ直ぐに伸びていました。かすかにハーブの香りを含んだ風が、木立の間をふあーっと通り抜け、旅人は泥靴を履いた右足を一歩前に踏み出しました。その瞬間、そこいらの空間がぐわりとゆがみ、立ちくらみのような感覚におそわれた旅人は目を開けている事も立っている事も出来なくなりました。
つんつんと何かに頬をたたかれて、ゆっくりと目を開けた旅人が目にしたのは、青々としたパセリの群れでした。丈はしゃがみ込んだ旅人と同じくらいで、しっかりした茎から四方八方に枝を伸ばし、中には白い花を付けているものもありました。その一枝が旅人をつんつんしていたのでした。
「育ちすぎだ。こうなったらもう葉は硬くて食べられない。誰も手入れをしないのだろうか。雑草も伸び放題だし」
旅人は、自分の家の小さな家庭菜園を思い出していました。土いじりの好きな妻が家族のために野菜やパセリを愛情込めて育てている菜園の、水やりや草取りや支柱立てを旅人も時々頼まれるのです。
そして妻は夫がパセリ好きである事も知っています。肉や魚の料理には必ず添えるし、パスタやスープにはみじん切りパセリを欠かしません。そして、油でしゃりっと揚げてしゃりしゃりっと食べるパセリが夫の大好物である事も妻は知っています。
「こんなパセリ妻が見たら何と言うだろう・・・」と思いながら旅人は立ち上がり、庭全体を見回しました。ラベンダーやカモミールなどのハーブが、雑草と並んで元気に育っています。桜やブナの木が思い思いに枝を広げ、黒光りする実をつけたツタをまるでアクセサリーのようにからませています。何かが原因で折れ曲がった枝が、そのままの状態で枯れて朽ちるのを待っているかのようです。
ただ、旅人の足元から玄関に続く幅2mくらいの道は、同じ長さに刈りそろえられた緑の芝で埋められていました。
「えっ・・・?」
旅人は、目の前の光景に一瞬呼吸が止まりました。
「人間のように喋る人形(2)」につづく